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日本の伝統工芸品 織物(和服・着物)のご紹介

三井法律事務所は 日本の伝統工芸を応援しています。 関西の老舗呉服問屋のご協力のもと、日本伝統の織物等をご紹介します。

作家紹介

山口 伊太郎

やまぐち いたろう (1901-2007)

基本データ

西陣の織匠。文様織物製作の第一人者。紫紘株式会社創業者。実弟は能装束制作の第一人者、山口安次郎。第二次世界大戦後、西陣織工業組合の設立に尽力し、理事長、財団法人西陣織物館理事長を歴任する。小学校卒業後、親戚の織屋に丁稚奉公に入り、10代後半に独立。様々な織技術を考案し独創的な帯の制作を始める。第二次世界大戦中、織物業の一時中断を余儀なくされるが戦後に再開、紫紘株式会社を創業する。1970年、70歳の年より織物制作の集大成として「錦織による源氏物語」の制作を始め、その制作は105歳で亡くなるまで、延べ37年にわたって続けられた。2007年春、最終巻の指示をし、完成を待つのみとなったが、それを見ることなく同年6月27日に逝去。翌年の2008年3月3日、「源氏物語錦織絵巻」最終巻の完成をみる。

・源氏物語錦織絵巻、フランス国への寄贈。

明治期初頭、西陣の伝習生が渡仏し、当時の織物技術を導入。特に紋様織り出し装置である「ジャガード機」 はその後の西陣の産業技術の発展に大きく寄与しました。そのフランスによる技術伝承の恩に対する感謝の念、及び、その果実としての作品の寄贈の意を、1995年来日中のフランス国立ギメ東洋美術館館長フランソワ・ジャリージュを通じ、当時のフランス文化大臣に伝えたところ直ちに了承され、正式に作品の寄贈の要請を受け、ギメ東洋美術館における作品の収蔵が決定されました。

当時既に完成していた「源氏物語錦織絵巻」二巻はフランス共和国に寄贈され、その後2002年に第三巻、2008年に最終第四巻を寄贈しました。この収蔵の完了を記念して2009年11月よりギメ東洋美術館では、'Au fil du Dit du Genji - Hommage à Maître Yamaguchi'(源氏物語の糸を辿って - 織匠山口伊太郎へのオマージュ)展が開催されました。なお、フランス共和国からはレジオンドヌール勲章オフィシエ文化芸術章を受章しています。

「源氏物語錦織絵巻」全巻は2セット製作されており、ひとつは先述のルーブル美術館東洋部門にあたるギメ東洋美術館、もうひとつは山口伊太郎の創業の帯屋「紫紘(しこう)」株式会社が所蔵しています。 山口伊太郎本人は生前、「源氏物語錦織絵巻」全巻を五大陸に残し、天変地異に備え永く保存され、織物制作を志す後進の参考に資することを強く願っており、伊太郎の謦咳に接した者らによってその実現への努力は続けられています。

北村 昭斎

きたむら しょうさい (1938- )

基本データ

漆芸家 元奈良文化女子短期大学客員教授
螺鈿の重要無形文化財保持者 (人間国宝)

漆芸家の北村大通の長男として奈良県に生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科卒業後、早川電機工業(現在のシャープ(株))工業デザイン部門を経て、父の下で漆芸の制作と文化財修理を行う。
1999年に重要無形文化財保持者 (人間国宝) に認定されました。

代表的な作品

皆川 月華

みながわ げっか (1892-1987)

基本データ

染色作家。本名は秀一。染色作家皆川泰蔵の父。
安田翠仙に友禅の染色、都路華香に日本画を学ぶ。友禅に絵画的手法を応用した染色工芸の草分け。官展を中心に活躍し、日展評議員・理事を歴任。日本芸術院賞・京都市文化功労賞受賞。昭和62年94歳で逝去。

伊東 久重

いとう ひさしげ ( - )

基本データ

京都の伊東家は、江戸時代中期享保年間(1716-1735)から続く御所人形制作を家業とする家筋です。明治4年(1767)には後桜町天皇より「有機御人形司伊東久重」の名を拝領。その名と技術は当代である十二世久重さらに健一まで変わることなく連綿と受け継がれています。江戸中期に鑑賞用の人形として大成した御所人形は、朝廷から公家や大名家、門跡寺院などに下賜され、高貴な人々の間で愛されてきました。多種ある人形の中でも最も精密で品格が高いものとされています。久重の御所人形は手間と時間のかかる木彫法によるもので狂いがなく、胡粉(ごふん)との相性がよい桐を乾燥させて用い、1年から数年がかりで完成させます。特に胡粉はにかわとの微妙な配合により天日に乾かしながら数十回も塗りかさね磨くことで、特有の光とつやを湛えた純然たる白色となります。独創的で芸術性の高い作品です。

代表的な作品

毎田 健治

まいだ けんじ (1940- )

基本データ

日本工芸会正会員/(財)石川県美術文化協会常任評議員/(協)加賀染振興協会副理事長

昭和三十九年 金沢美術工芸大学日本画科卒業 父 毎田仁郎に師事
昭和五十年 日本伝統工芸展初入選 以来連続入選
昭和五十三年 日本染色展にて文化庁長官賞受賞        
日本工芸会正会員推挙
昭和五十九年 金沢美術工芸大学助教授(平成6年退官)
昭和六十三年 シンガポールにて開催された日本工芸展に出展
平成三年 天皇・皇后両陛下御来県の節の衝立、卓布等謹作
平成十年 ベルリンの日独センターにて個展開催「フランスにおける日本年1998年」
パリ日本文化会館にて作品展示
平成十三年 石川県立音楽堂邦楽ホール 友禅緞帳「瑞松彩花」制作        
秋篠宮文仁・紀子両殿下御前御大臨に際し御手造の栄誉を賜る        
石川県文化功労賞受賞
平成十五年 金沢全日空ホテルにて個展開催
平成十七年 第五十二回日本伝統工芸展にて優秀賞受賞
平成二十年 第三十一回石川テレビ賞受賞
平成二十三年 地域文化功労者 文部科学大臣表彰

代表的な作品

真栄城 喜久江

まえしろ きくえ (1921-2001)

基本データ

日本工芸会正会員
琉球美絣は、夫である故・真栄城興盛氏によって始められ、喜久江氏が後を継ぎ、息子の興茂氏と二人で守ってきました。喜久江氏亡き後、現在は興茂氏、興和氏親子によって琉球美絣は引き継がれています。

代表的な作品

屋宜 元六

やぎ げんろく (1923-1996)

基本データ

琉球紅型作家
琉球王国時代の紅型が国王尚氏一族をはじめとする限られた階層の使用品であり、明治維新による王国瓦解とともに一旦衰退を余儀なくされたが、それに再び高い評価を与えたのが、日本民芸協会のメンバーを始めとする本土からの来訪者であった。しかし本土からの刺激によって活気を取り戻した紅型制作も第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けた。敗戦から1973年の沖縄県無形文化財「びん型」認定に至る約20年間、知念績弘、城間栄喜、大城貞成らと共に紅型復興期を主導した。

百貫 華峰

ひゃっかん かほう (1944- )

基本データ

加賀友禅作家 日展評議員 日本現代工芸評議員。

代表的な作品